江戸怪談:屏風から出て来た小人が武将細川政元暗殺の予見であった事


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江戸時代の本より

細川政元の枕元に、屏風に描かれた人々が出てきて、歌い踊るのを見た.政元は陰陽師にこれを判断させたが、良い前兆ではないようであった.

【出版年】寛文六年(江戸1661年)
【著者】浅井了意
【書名】伽婢子(おとぎぼうこ)
【タイトル】屏風の絵の人形踊歌

或日大に酒に酔て、家に帰り臥したりしに、物音をかしげに聞えて睡りを覚まし、かしらを擡げて見れば、枕本に立たる屏風に古き絵あり.誰人の筆とも知れず、美しき女房少年多く遊ぶ所を、極彩色にしたる也.其女房も少年も屏風を離れて立並び、身の丈五寸ばかりなるが、、、

細川右京大夫政元は、源義高公を取り立てて、征夷大将軍の任務を与えなさり、それによって背後で自らが権力を握り、勢力を大きくしていた。


ある日政元はひどく酒に酔って、家に帰り横になって寝たが、おもしろそうな物音が聞こえて目を覚まし、頭を起こしてそちらを見た.時に政元の枕元に立っている屏風には、古い絵が描かれて有る。

いったい誰がかいたものかは知らないが、姿形のうつくしい女や少年が遊ぶところを、極彩色にあらわしたものである。


今それを見てみると、絵の中の女も少年も、屏風から飛び出して床に立ち並んでいる。わずかに大きさは五寸[15cm]ほどで、足を踏んで拍子をとり、手を打って歌をうたい、おもしろい踊りをする。


政元がその歌を良く聞けば、小さい声で、

「世の中に、恨みは残る有明の、月にむら雲春の暮、花に嵐は物うきに、あらひばしすな玉水に、うつる影さへ消えて行く、・・・」

などと言って、繰り返し繰り返し歌い踊っている.そこを政元は声を大きく怒鳴りつけ、

「くせもの共が、何をするのだ。」と言った。

すると小さい男も女も、あわてふためいて屏風に登り、元の絵になった。これらの事というのは、奇妙であること限りもなかった。


陰陽師の康方(やすかた)と言う者を呼んで、その一連の次第は自分にとって、はたして何の吉凶が起こることを知らせているのかを占わせてみると、康方は言う。

「屏風の絵にいる女は風流[ふりゅう、古い舞]の踊りをしながら、花に風と歌う。そもそも全て風の字を使うときは慎みを意味していて、今回のことをこれから考えれば、”大変重い慎み”を意味しています。」

これは永正四年(えいしょう、1507年)のことである。


このことがあった翌日、しばらく身に重い慎みを課そうと、政元は肉食を断ち身を清めて、愛宕山に参ってそこにこもり、このまま変わらず武運の長く続くことを、勝軍地蔵に祈りなされた。

しかし、23日に山より下る途中、乗っていた馬が坂口を通っているときに死んだ。
明くる24日、我が家に帰って風呂に入っている時、政元の家の人間で、右筆(ゆうひつ、職名)の役をになっていたものが、敵とひそかに結託して、突然風呂に入ってきて政元を刺し殺した。


康方が”風の字は慎みである”と言ったが、まったく風呂に入っていて殺されたのも、占いでみたところと関係があるのであろう。

武将の名言集

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