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書かれている事のまとめ
江戸時代の本より
逃げ水は、陽炎(かげろう)を水に例えたもので、鎌倉時代の和歌にも詠まれていることから、非常に古い由来があることが分かる.

出典
【出版年】文化8年(1811年)
【著者】曲亭馬琴
【書名】燕石雑志
【タイトル】迯水
原文の雰囲気は?
この迯水というふものは実の水にあらず春の曠野にたつかぎろひを遠く眺望れば水の流るる如くに見ゆるをいふよしはみなしるものから野馬陽炎を水にたとひたる、、、
原文の現代語訳
夫木集(鎌倉時代の和歌集)の第26「雑部」の8、源俊頼の和歌に、
『武蔵野にありといふなる迯水のにげかくれても世をすぐるかな』
(武蔵野に見えると聞く逃げ水のように、逃げ隠れながら世を過ぎていく)
この逃げ水というのは本物の水ではない.
春のあれ野に立つカゲロウを遠くに眺めると、水が流れるように見えるということを言うのは、人がみな知っているので、カゲロウを水に例えるのは自然と理由がある所である.
性霊集(平安前期の漢詩文集)にカゲロウのたとえを詠んでいる.
『ゆるやかな春の日に景色が動く.
カゲロウは散らばってあれ野に飛ぶ.
体をあげると空になって有りはしない.
困惑した子は渇きに迷い、ついに帰ることを忘れる.
遠くにいれば水に似ており、近づけばそのものは無い.
走る馬も流れる川も、どこに向かうのだろう.
-以下略-』
『運敝の注釈には、「智論」に書かれている所を見ると、
「飢えや渇きの苦しさが極まって、熱気が野生の馬の様であるのを見ることがある.これを逃げ水と言って、速く走りこれに向かって行けば移り、近づけばいなくなる.走る馬も流れる川も、みなカゲロウの形を述べたものである.」とある.』
逃げ水の事は、これで意味がわかるだろう.
源俊頼は性霊集の空海の漢詩もとづいて歌をよんだのではなかろうか.