明治時代の結婚は男性が年齢30迄にと価値観が現在と同じだった


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大町桂月の本より

  • 大正・明治頃も、30歳までに結婚しないといわくつきのように言われた.
  • 桂月の意見では、日本人は早くに子供を持つせいで人間が大きく成長しない.
  • 大成する為には早婚を尊重する結婚観を変えて、家庭を築くことを遅くするべきである.

【出版年】大正11年(1922年)
【著者】大町桂月
【書名】筆のしずく
【タイトル】日本人の一大缺點

今の世の日本人士、何ぞ家を成すに急なるや.古来家禄に衣食せし習慣今に残りて、子が自活し得るに至らば、親は早く隠居して、子の臑をかじらむとす.親族の窮せるもの、よりてたかりて、その給助を仰がむとす.今の人士は、幾んど先天的にかかる重荷を、、、

『生子應如玉 娶妻應花、丈夫天下志 四十未成家』
[子の生まれるのは玉のごとし、妻をめとるは花のように、丈夫は天下を志して、40歳にしていまだ家を成さず.]

今の時代の日本人は、なぜ家庭を持つのに早急なのだろう?

家禄で生活をしていた昔の習慣が今に残っていて、子供が一人で生活できるようになれば、親は早く隠居して子供のすねをかじろうとする.親族で困っているものは、寄ってたかってその援助を得ようとする.今の人々は先天的に、このような重荷を背負っているのである.


さらに加えて、自分で生活できるようになるよりも早く、急いで妻を迎えようとする.遅くとも26、7歳にして夫となる.また父となるのである.学業や事業がまだ入り口にも至らないところであるのに、すでに家族が多い.

せっかくの秀才も、一家をやりくりすることに追われて、志は縮まり学業は進まない.かなしいことに、二つの業務がまだ頭に浮かんでいないのに、すでに精神的には年老いて活気もなくなり、冒険的な事業を行うなどは思いもよらず、小さい成功止まりとなって、大成するための方法がない

結局のところ、これは家庭を成すことが早急であるせいである.


跡継ぎがなければ家が断絶した江戸幕府の時代には、早く子供を産む必要があったであろう.妾(めかけ)を置く必要もあったであろう.家禄で暮らしていた時代は、子供を頼って若くして隠居するのもまた良かったであろう.
しかしながら今では、男子は一生働かなければならない.子供のすねをかじるべきでない.早く子供を産まなければならない必要はない.


学校の卒業は、初めて事業・学業に志す門へ入っただけで、決して学業を大成したというものではない.事業でも学業でも、見込みが立つまでは独身であることが必要である.40歳にて妻を取るのも良く、50歳にして妻をとるのもまだ遅くはない.

しかしながら、せっかちな日本人は、このように意思が強い者が少なく、30歳にして妻を取らないと世の人々は評して不具者とみなして、いわくつきとみなして、この男に嫁ぐことを避ける傾向がある.そうであれば、女性で少しばかり高尚な教育を受けて、24,5歳にして学業を終われば、早くも婚期を失ってしまい、再婚の人でなければ嫁ぐのが難しく、せっかく学業が成就して嫁ぐのにも嫁ぐ人がいない.おかしい現象ではなかろうか.


もともと結婚の遅い早いは、文化の発達の程度と生活の難易に関係している.

これが東京出身の女性が、田舎の女性よりも晩婚である理由である.西洋人が、日本人より晩婚である理由である.

日本人で早婚の悪い風習がなくならない以上は、国民として大成することはおぼつかないだろう.

価値観についての本

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