「私は死なぬ人である」吉田松陰の思想と名言を獄中で妹に宛てた手紙から


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吉田松陰の手紙より

  • 自分は捕らわれてやがて死ぬことを悟りながら、妹へ宛てた手紙に、自分は”死なぬ”人であり、自分の災いが家族の幸福を生み出すと記した.
  • 神や仏に頼ることではなく、自分の身で行うことの必要を問いた.
  • わざわい転じて福となり、福はわざわいの種となる.

【出版年】明治39年(1906年)
【著者】吉田松陰
【書名】中学国文教科書 巻八
【タイトル】妹にさとす

済度といふは、即ちこの世の人を済度することに御座候.さてその死なずと申すは、近く申さば釈迦の孔子のと申す御方方は、今日まで生きて居らるる故、人が尊みもすればありがたがりもし、恐れもするなり.はたして死なぬに候はずや、、、

この間はお手紙下され、観音様のご洗米を三日間精進してから召し上がって下さいとのお話.ご親切のおこころざしに感じ入りました.

精進や潔斎(身を清める事)などは、ずいぶん心が定まるものでよろしい事と存じますので、私も2月25日より3月末日までは少しこころざしがあり、酒やさかなは一切食べていません.その間一度霊神様のお祭りのものを頂いたばかりで御座います.

まして3日精進するというのはさまで難しい事でもなく、ご親切をいただいた事ですのでし遂げたいと存じますが、こちらではいつもの精進の他にまた精進と言うと、周りの囚人や番人達がどうしてだと怪しんでたずねてくるので、これこれと答えることが面倒に存じます.8日からは幸い精進日なので、その日1日にていただきます.

そもそも、観音様を信仰をしなさいというのは、きっと災いを避けるためであるべきで、これには大いに論のあることですので、詳しく申します.

私はいまだに観音経は読んではおりませんが、法華経第二十五の巻、普門品という編に、観音力ということが大きく述べてあります.

おおよその意味は、観音を念じれば、お縄にかかってもたちまちにぶつぶつと縄が切れ、牢屋に捕らわれればたちまち鍵がはずれ、首を切られるために座ればたちまち刀がちんぢ[方言 微塵の意味]に折れる等述べてあります.

これは、私が江戸の牢屋でこの経を何度も繰り返し読んでみましたが、始終この意味合いです.
それゆえ、凡人はこれより有難いものは無いと信仰するのも無理はありません.

しかしながら、仏の教えは奇妙な仕掛けで、大乗・小乗と二つに分けて、小乗は素質が乏しい人への教え、大乗は素質が優れている人への教えと決まりがあります.

小乗の事を言うのであれば、観音は右のお経の通りのものと理解して、ひたすら信仰させることで御座います.これは大いに信を起こさせるためです.信を起こすとは、一心にありがたい事じゃとのみ思い込み、余念や他の考えがないことで、一心不乱というのもこの事です.

人は一心不乱になりさえすれば、何事に臨んでもちっとも頓着なく、お縄も牢屋も首切りの座も平気になるので、世の中にどれほど難題や苦しみが来ようとも、それに退転して[仏教用語:落ちぶれて]、不忠・不孝・無礼・無道などする気遣いはない.

しかし初めから凡夫に、一心不乱だの不退転だのと伝え聞かせても少しも耳に入らないものですので、仮に観音様をこしらえて、人の信を起こさせる教えで御座います.これを方便とも申します.

さてまた、大乗と言う方にては、出世法という事が肝心で御座います.
出世と言っても、立身出世などという事ではありません.

その初めは、釈迦が天竺王の若殿であった際、若い時から感受の強い人で、老人を見ては私の身も行く先は老人になるのかと悲しみ、死人を見ては私の身も行く先は死ぬのかと悲しみ、虫けらの死んだ、草木の枯れたにまで悲しみを発して、生老病死がこの世のならいなので、是非ともこの世を出なければしょうがないとこころざしを立てて、25歳の時地位を捨てて山に入り、右の生老病死を免れる修行をしに参られました.

そうして30歳で山を出て、わずか5年の間に生老病死を免れることを悟り、生まれもしなければ老いもせず、病みもせず、死にもしない事を悟って出てきて、それから世の人を教化なされました.
これがすなわち出世法です.

ゆえに、出世しなければ済世[世をすくう]が出来ないというのもこの事です.済世というのは、つまりこの世の人を済度[救済]することに御座います.

さてその”死なぬ”というのは、近くに例を挙げれば釈迦だ、孔子だというお方たちは、今日まで生きておられるので、人が敬意も払えば有難がったりもし、恐れたりもするのです.
はたして、”死なぬ”ではないでしょうか?

死なぬ人であれば、お縄も牢屋も首切りの座も、前に言った観音経の通りではないでしょうか.楠木正成とか大石良雄とかいう人は、刃物に身を失ったけれども、今でも生きて居られるのです.
すなわち、刀のちんぢに折れた証拠です.

さてまた禍福はあざなえる縄の如しという事を、お悟りなされるのが宜しいです.
わざわいが福の種、福がわざわいの種です.人間万事塞翁が馬で御座います.
私など牢屋にて死ぬことですので、わざわいの様なものですが、また一方には学問も出来て、己のため、人のため、後の世へも残って、ともかく死なぬ人々の仲間入りも出来ましたので、福はこの上もない事です.

牢屋を出てしまえば、またいかなるわざわいの来るやも知れません.もちろん、そのわざわいの中にはまた福もありますが、所詮一生の間に難儀さえすれば先には福があります.
なんの効果も無いことに観音へ頼んで福を求めるようなことは、必ず必ず無益に存じます.


もっとも、右の通りでありますので、身勝手な申し分、親不孝な申し分と思われますか、でもここにまた論があります.
易の道[易占いの学問]は満盈[いっぱいになる]という事を大いに嫌います.

お互いに7人兄弟の内[注:以降兄弟の名前が多く出ます.]、私は罪人、艶は早くに亡くなり、敏は聾唖.無様がわるくなったような者があるけれど、あとの4人はみなそれなりに世を渡って、特に兄様、あなた、小田村は2人づつも子供がいるので不足は言えない.
世の中の、6、7人も兄弟のいる家を見比べてみよ.これ程も至らない家は多いものです.

近い話ではあなたの家でも、高須などにも、兄弟の内には悪い人も随分ある.
そうであれば、父母や兄弟の代わりに、私、艶、敏の3人がわざわいを受けているのだと思えば、父母様の心も休まる訳ではないか.

しかも杉は、ずいぶん福が多い家なので、私の身の上からはかえって杉が気づかわしい.


私の身の上は先ほど述べた通り、つまるところ牢死、牢死しても死なぬ仲間なので、後世の福はずいぶんあるけれど、杉は今では父子とも役人で何の不足も無い家庭なので、子供とはいつもこの様なものだと思って、昔山宅で父様母様が昼夜苦労をされたことを話して聞かせても本当とは思わない程なので、この先、50年70年のことをしっかり手を組んで考えて見なさい.気づかわしいものではないか.

去年も、端午に客が多いことを、人々はめでたいめでたいと嬉しい顔をするけれども、私はなにぶん先の先が気づかわしくてたまらないので、始終稽古場にかがんで、人の知らないところで一人涙を落したほどです.

もしや、万一小太郎(兄、民治の子)が父祖に似ないような事があれば、杉の家も危うい危うい.


父母様の苦労を知っているものは、兄弟ではあなたまでです.小田村ですら、山宅のころはよく覚えていないだろう.まして久阪などはなおさらでしょう.

そうであれば、私の気づかいに観音様を念じるよりは、兄弟甥姪の間に、「楽は苦の種、福はわざわいの本」ということを、しっかり伝え聞かせる方が肝心です.


なおまた一つ、私が親不孝ながら孝行にあたる事がある.
兄弟のうちに一人でも無様の悪い人があれば、あとの兄弟も自然と心が和らいで親孝行をするようになり、兄弟も仲睦まじくなるものです.

このことから私は、兄弟の代わりにこの世のわざわいを受け合うので、兄弟中は私の代わりに父母様へ親孝行してくれるがいい.
そうすれば結局のところ兄弟中みな仲良くなって、はては父母様のお幸せ、また子供が見習えば子孫のためにこれ程めでたいことは無いのではないか.よくよくご勘弁して、小田村、久阪などへもこの手紙を見せて、仏法信仰は良い事だが、仏法に迷わないように心学本などをおりおり見なさい.

心学本に書かれていた.

「のどけさよ ねがひなき身の 神まうで」
(願うこともない身で、神を詣でるのどけさよ)

神へ願うよりは身に行うが宜しいのだ.

吉田松陰語録

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