千利休が庭にみだれた落ち葉にわびさびを見出した話


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明治時代の本より

千利休の師である武野紹鴎が、利休の才能を試すために庭の掃除を命じたところ、利休は綺麗に掃かれた庭に散らばる落ち葉に、趣を見出した.

【出版年】明治19年(1886年)出版
【著者】大槻崇
【書名】名家小体文範
【タイトル】利休

利休學茶儀於左海人紹鴎紹鴎斯道之盧陸也嘗欲試利休才命掃除庭中、、、

千利休は茶の道を、左海(さかい、堺)の人である武野紹鴎(たけのじょうおう)に学んだ。
紹鴎は茶の道に深く達した人である。


かつて彼は、利休の才能がどれほどのものであるか試してみようと思い、庭の掃除を命じた。

利休が了解して外に出てみたところ、茶亭の前の庭はすでに綺麗で、箒のあとがぬぐうように見えている。

少しの塵も無く、奥の林も引き締まって整い、さながらその緑は今にもたれようとしている。利休はこれにためらって、もはや庭には手を下すべきところは無く思えた。

ついには林の中に入って、試しに林の木を1本ゆらしてみると、枝より葉が落ちて風にひるがえり、点々と地面に模様を描いた。


すると利休は、このことが一層の風流を庭にそえたことを感じ、再び師の紹鴎の前に行き、

「謹んで頼まれたことを終えました。」と言う。


紹鴎はこれによって、利休の奇才に感じ入り、自身が抱いている茶の道の秘訣を心を傾けて彼に教えた。


やがて利休が詫茶(わび茶)を大成し宗匠と呼ばれるようになったのは、ここがはじまりである。


「風流ならざるところ 却(かえ)つて風流もとめて 風流なるは 風流ならざるなり。」
(風流でないところに、逆に風流を求めて、風流であるのは、風流ではない)

「客亭主たがいの心にかなうはよし 協(かな)いたがるはあしし」
(客と、それを呼んだ亭主の心が、互いに合うのはよい。合いたがるのは悪い。)

「寂たるはよし 寂びさせたるは悪し」

(寂びたものはよい、寂びさせたものは悪い)

千利休の「わび」とはなにか

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