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書かれている事のまとめ
林鶴梁の本より
赤穂浪士と直接関係無いものの、熱血漢であった村上喜剣という男が、主君のかたきを取らずに遊びまわる大石内蔵助へ激怒した.しかし大石は、人目をはばかる為にわざと放蕩者の振りをしていたのであった。後に赤穂浪士が主君の仇をとったことで、村上は大石を非難した自分を後悔し、墓の前で切腹した.
原文の雰囲気は?
喜劍者不詳何許人或云薩藩士蓋奇節士也元禄中赤穂国除大石良雄去在京師持物論囂囂言其有復讐之志、、、
出典
【出版年】大正元年 原文は江戸時代の著作
【著者】林鶴梁
【書名】作法文範文章大観
原文の現代語訳
著者林鶴梁(はやし かくりょう)の簡単な紹介
幕府の武庫をあずかる役人であった。24,5歳のころ志を立てて学問を始め、やがてそれを修めてから甲府の[儒官儒教を教える役人]に任命され、さらに遠州中泉の代官に取り立てられて、大いに仕事をこなして功績があり人から尊重された。しかし攘夷の説を唱えたことによって幕府からは受け入れられなかった。維新後は政府に使えることはなく、明治11年に73歳で死んだ。
本文
喜剣がいずこの者で有るのか今は知れない。薩州の藩士であるという説も有る。とにかくも気骨を持った一男子である。
元禄のころ赤穂(あこう)城が没収されて、主君を失った家老の大石良雄は京都に移り住んでいた。時に論争はさまざまに起こって、きっと大石には復讐の志があるのだと世間は言いはやした。良雄はこれに自らの策略が現れることを憂慮し、わざと芸能にふけって放蕩者に身を沈め、その疑いを受けることを避けた。
ある日島原の遊郭に大石が遊んでいると、たまたま喜剣も来て遊んだ。喜剣はもともと大石と面識があるわけではない。しかしひそかに世の噂が事実であることを心から望んでいて、大石良雄が遊びほうけていることを聞き、失望は一通りではなかった。
喜剣は大石を招いてとある一店で共に酒を飲み、復讐する心があることを密かに探ったが、大石は応じない。よってついには繰り返して直接言葉に出したが、大石はさらに応ずることなく、まるで意に介さないようである。
喜剣は目を怒らして、大いに罵倒し、
「お前は人の皮を着た獣(けだもの)だ。お前の主人は死んだ。お前の国は滅んだ。お前は家臣の身であるのに仇に報いる事を知ることもなく、獣でなくてなんだと言うのだ。俺はまさしくお前を獣として取り扱ってやろう。」
そう言ったかと思えば、左足を伸ばしてつま先に刺身を乗せて、
「けだもの、これを食え。」と言う。
大石良雄はこれを平気な様子で、首を下げてこれを食べ、なおもつま先に余った汁をしゃぶる様はまるで動物である。笑う良雄の声と怒る喜剣の声は、共に一室に響いて騒がしく、奇妙な一場面を表した。
それから後、喜剣は職任のために江戸に赴いたが、たまたまその時あたかも四十七士の復讐のことが起こった。喜剣が獣と見下げた良雄が、その中心となった人物である。
喜剣は愕然(がくぜん)として、
「ああ、俺は死のう。俺の目は良雄を獣とした、これは我が目の罪だ。俺の舌は良雄を獣と見下げた、これは我が舌の罪だ。俺の足は良雄に獣のように食らわせた、これは我が足の罪だ。俺の心は良雄を獣として待遇した、これは我が心の罪だ。一身すべて罪が有る。ああ、俺は死ぬのだ。」
そうして病気だと口には告げて故郷へ帰り、職のこと身の回りのことすべてに始末をつけて、さて江戸に来て見た。しかし大石良雄達はすでに切腹を命じられていて、忠義の厚い魂は永遠に地下に眠ってしまった。
泉岳寺に設けられたその墓に詣でて、「今はもう数え切れぬ罪を、地下に会って謝ろう」との一言をこの世の別れにして、潔く腹をかき切り、ほとばしる熱い血が義士の墓に武士の花を咲かせた。
後の人が、その屍を義士の墓のそばに葬った。そもそも喜剣は、初めは良雄と面識がないにもかかわらず、復讐の一挙を望んでいた。それから言葉を直に忠告して、やがてはののしり辱しめることにいたった。終わりには、身を殺し志を明らかにしてその罪を謝った。
正しい行いの者ではないとしても、その気骨は古の侠者(きょうしゃ、おとこだて)に遅れを取らない。