- 明治元年天皇が東京へ行幸した際、伊勢神宮の鳥居の笠木が落ちた騒ぎ
- ゴロツキの集まりだった日本警察を整備した大木喬任のエピソード
- 樋口一葉の代表作「にごりえ」 全文現代語訳その6(無料)
- 花火、屋形船、かたわの見世物、鯨の絵.江戸時代の文化と娯楽の思い出
- 大町桂月「文章の極意は誠の一言に尽く」明治時代 文豪の名言と思想
- 役人が汚れたふんどしで判事に顔を拭かせた明治時代の面白エピソード
- 西洋菓子を日本へ広めた明治時代の偉人、森永製菓創業者のエピソード
- 大隈重信によると、北海道を開拓したのはロシア侵略への国防が理由だった
- 福沢諭吉の恋愛観.フリーラブを否定し、人外の動物と言った事
- 日本の台湾統治時代の話:台湾受領用紙を忘れ安いシャンパンを出した事
この記事は6分で読めます.
書かれている事のまとめ
江戸時代の本より
ある男の背中にこぶが出できて腫れあがった.ヨーロッパの名医がシラミがたまる蝨瘤(しつちゅう)という病気であることを見抜き、治療法を教えた.

出典
【出版年】寛文六年(江戸1661年)
【著者】浅井了意
【書名】伽婢子(おとぎぼうこ)
【タイトル】蝨瘤(しつりゅう)
原文の雰囲気は?
日向の国諸縣という所に商人あり.背に手の掌ばかり熱ありて燃るが如し.廿日ばかりの後に熱冷めて、又痒き事いふ許りなし.漸く腫上り盆をうつぶせたるが如し.大に腫るるに随ひて、猶痛みは少もなく、只痒き事堪難し.、、、
原文の現代語訳
日向の国の諸県(もろかた)というところに商人がいた。
ある日より、背中に手のひらほどの大きさで、熱を持って燃えるような所ができた。20日ばかりたってから熱が冷めて、それからはかゆいこと限りない。段々と腫れ上がって、盆をうつ伏せにしたようである。大きく腫れるにしたがって、痛みは少しも無く、ただかゆいことが耐えられない。
このせいで食事は日に日に進まなくなり、やせ衰えるまま骨と皮とになった。
残るところなく諸々の医者に見せ、内科外科が手を尽くして薬を飲ませたり外から塗り薬を貼ったりしたが、少しも効果が無い。
そのころ南蛮の商人船に、名医として有名なチャクテルスというものが渡ってきて、この病を見て言うには、
「これはまったく世にまれな病だ。そのため世の人の多くは知らない。これは蝨瘤と呼ばれている。
皮肉の間にしらみが湧き出てこの病をいたすのだ。わたしがきっとこれを癒してみせる。」
そうして腫れ物の周りを縛って、その上に薬を塗った。
さて語るには、
「世の人の中には、あるいはその体にしらみが湧き出てきて、一夜のうちに3升5升にいたり、衣服に満ち満ちて血肉を吸い食らわれる。痛みかゆいことは言葉にもならない。
しかしながら病人の身にのみ起こって、他人には取り付き移らない。これはままあることなので、治療の方法は世の医者がこれを知っている。
しかしいまこのしらみは、肉の間に生じて皮より下にある。他の人間はあまり知らない症状だろう。今日の夕べには、必ず効果が出る。」
と言った。
その夜、瘤(こぶ)の先端が破れてしらみの湧き出ること1升ほどもあり、みなしっかりと足を持っている。大きさはごま程で、色が赤く、よく這って歩く。
これからは体も軽く心地も良く思えたが、しらみの出た後に細い穴が一つあって、時々その穴からしらみが出てきた。
チャクテルスは言った、
「この病は世に薬が無い。百年物の梳き櫛(すきぐし)を焼いて灰になし、黄龍水を使って塗りなさい。これより他には治療法は無い。私はこれを少しだけだが持っている。ここで惜しむことも無いだろう。」
そして一さじばかりを取り出して、傷の上に塗ったところ、17日のうちに癒えた。