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書かれている事のまとめ
明治時代の本より
江戸時代の文人画家池野大雅は、非常に足腰が強く、たびたび富士山へ登って絵を描いた.

出典
【出版年】明治19年(1886年)出版
【著者】釋顕常
【書名】名家小体文範
【タイトル】池野貸成
原文の雰囲気は?
池貸成名無名為人外疎放而内實修検遠近皆以大雅堂称之生平安、、、
原文の現代語訳
池貸成(いけのかせい)、名は無名(ありな)。
その姿は外見にはおおざっぱであるが、内面は実は品行のおさまった人物である。遠近の人々はみな大雅堂と言って呼びなしていた。平安(京都)に生まれる。
幼い頃から才能が抜きん出ており、文を学び、書を学んで、その道に至らないという事がなかった。
とくに絵を描くことに優れていて、山水の図が最も卓越している。
名山に登り楽しむことを好んで、非常に健脚であり、高く険しいところや奥深い山の中でも、行き尽くさないということは無かった。そうして描かれる筆先は絵に趣をだした。
しばしば富士山にのぼり、毎回その道を変えて、富士図を百枚程も作った。
それぞれその姿や状態に違いがあり、全て自ら観察を経たところである。これは古今の絵描き達には未だ及ばぬ行動である。
妻の玉蘭の姓は徳山、心落ち着き安らかで飾らず、良く夫の行いを支え、また絵も良く書いて名も知られている。しかし二人は子供が無く、家は断絶した。