江戸の怪談:ある夜、前の住人と名乗る人間が結婚式をしたいと乗り込んで来た


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江戸時代の本より

ある男の屋敷に、突然「前の住人だが結婚式をさせてくれ」と大勢の人々が押しかけて来た.夜の間しばらく騒いでいたが、ふとした瞬間に急に全員姿が見えなくなり、学者はこれはネズミの仕業であるといった.

【出版年】元禄元年(江戸1688年)
【著者】浅井了意
【書名】狗張子(いぬはりこ)
【タイトル】鼠の妖怪

應仁年中、京師四條の邊に、徳田の某とて巨きなる商人あり.家富栄えて貨財倉庫に盈り.其比世大に乱れ戦争やむ時なく、ことに山名細川両家、権をあらそひ野心を起し、度々戦ひに及びしかば、洛中これがために噪動し、人みなおそれまどひ、ただ薄氷を踏んで、、、

 応仁(1467-1469)の年の間、京の四条のほとりに、徳田のだれだれと言って大きな商人がいた。家は富んで栄えており、財産は倉庫に満ちていた。


この頃は世が大いに乱れて戦争の止むときが無く、とりわけ山名と細川の両家は、権力を争い野心を起こしてたびたび戦となっていた.
洛中はこのせいでかなり騒動となって、人々はみんな恐れとまどって、薄い氷を踏んで深い淵にのぞむような思いをなしていた。


徳田の何某もこの乱によって、京に居住するのが心配になり、北山と賀茂のあたりにいる親族を頼って、ひそかに便りを送った。しばらくして加茂周辺のとあるところに、かつて常盤という者が住んでいたという屋敷があったのを買い求めて、山荘となし、しばらくここに隠遁することにした。

しかしながら久しい間人も住まない屋敷であったので、とても荒れ果てていて、軒は傾き垣根は崩れて、いったいどれほどの年月が経った屋敷かも分からない。徳田は取りあえずも、大体の掃除をして移ってきた。


京にいる親族はこれを伝え聞いて、みんなで山荘に来てお祝いを述べた。
主人は喜んで、お客様を堂上に招き入れてもてなし、一日中酒宴をひらいて、歌舞を行い酒によって遊んだ.そうしてるあいだに夜になったが、客も主人も一緒に大いに酔って、前後も知らずに寝てしまった。


その夜も深くなった頃に、外から大勢人の人が来る音がしたかと思うと、急に表の門をたたいた。
主人が不審に思って門を開いてみると、格好は整っていてひげの綺麗な人が、先立って入ってきて言った.
「わたくしはこの屋敷の元の主人です。わたしには一人の子がいます。今夜はじめて新婦を迎えましたので、その婚礼の儀式を執り行おうとしたのですが、わたしが今住むところは狭くて汚いのです。ただ今夜ばかりはこの屋敷をお貸しなさってください、夜が明ければすぐに立ち去ります。」


そうすると、いまだ言い終わらぬうちから、はやくも大勢入り込んできた.籠だ、馬だと、どよどよ騒いで提灯を大小200あまり2列に連ねており、まず先に飾り立てた輿(こし、乗り物)が通って、続いて乗り物が次々かつがれてくる。その後からは、お供の女房が何人かもわからないほど、笑い騒ぎながらやって来る。

また、年齢は60歳を過ぎるであろう老人が大小の刀を帯びて馬に乗り、歩く侍を6,70人引き連れて、前後を厳しく警護しているようであった.その間に、立派に塗って磨いてある長持ちやはさみ箱(嫁入り道具)、屏風衣桁(いこう)貝桶の類を数限りなく持ってくる。
貴賎の男女おおよそ2,300人、堂上堂下にあふれかえって盛大に酒宴を催す。

珍しい食べ物は山海の美味をつくし、歌ったり舞ったりしながら輿を入れて、主人や客を招きだした.
「こんなめでたい日ですので、何の遠慮がいりましょう。ここに来ていっしょにお飲みなさい。」
と言う。
主人も客も酔いにまかせて輿と一緒に座敷に出た。


まずその新婦とおぼしき人を見ると、年はまだ14,5歳ばかりであろう。すこし細身で色白く他にたぐいもない美人である。
次第に付き従う女房達が、いずれも妖艶な顔かたちで花のごとくにやって来て、みんな一同に立ち騒ぎ、ある者が新婦の手をたわむれて取り、
「せっかく今夜のお祝いという日です。どうせなら無理もさせましょう。」
と言って大きな盃をすすめるた.

新婦はとても耐えられないような様子になって、あちらこちらに逃げ隠れたが、捕まえようと騒いでいるうちに、風が激しく吹き落ちて、ロウソクの灯火を残らず吹き消した。


主人と客はふいに驚いて、しばらくしてまたともしびを見れば、人は一人もいない。だんだん夜も明けてよくよく見てみると、夜にがやがやと持ち運んできた道具と思えるのは一つも無く、実は主人が日頃大切にしまっている茶の湯の道具から、碗、家具、諸道具にいたるまで、みなことごとく取り散らかして、食い裂かれ噛み千切り、傷ついて壊れていないものがないくらいである。


そのうちの床の間に掛けておいた古い掛け軸で、牡丹の花の下に猫が眠っているところを書いた絵があった。作者の名前は消えて印はかすんでおり、誰の筆で描いたものかも分からない。しかし、この一幅だけはすこしも傷つくことなく残っていた。みなよからぬ怪(かい)だといって眉をひそめた。


ここに村井澄玄と言って、学識が高く見聞の広い老いた儒学者がいた。

主人に向かって言うには、
「これは深く恐れるまでもありません。老いた鼠のいたした怪奇です。猫は鼠がおそれるものです、それゆえに絵ではあるとは言うものの、あえて近づかなかったのは見たとおりです。こんな例は伝記に載っていることも少なくありません。これはその気が自然と交わらずに恐れて従うのです。
いわゆる、物はその天をおそれるということです。そのたぐいのことを、一つふたつ上げて示しましょう。

私はかつてある古い記録を見ていましたが、昔ある里の内の一つの村で、子供が大きなカエルが10匹、汚い草むらの中に集まるのを見ました。子供は進んでこれを取ろうとする。よくよく見てみると、1匹の大きなヘビがいばらの中にわだかまって、好き勝手にカエルの群れを食べている。
群がるカエルは1箇所に固まって、食べられるだけであえて動かない。

また有る村の老人は、ムカデが1匹のヘビを追うのを見ました。その歩く姿はとても早かったそうです。ムカデが段々近づくとヘビはまた動かなくなり、口を開けて待っています。ムカデはついにその腹の中に入って、時間が経って出てくる。ヘビはそのまま死にしました。そして村の老人はそのヘビを深い山の中に捨てました。
10日ほどすぎてから、行ってこれを見てみると、小さいムカデが数知れず、その腐った死骸を食べている。これはムカデが卵をヘビの腹の中に産んだのです。

またむかし1匹のクモが、非常に早くムカデを追うのを見た。ムカデは逃げて竹のなかに入る。クモは入らない。ただ足を使って竹の上にまたがり、何度も腹を動かして去っていきました。ムカデの様子をみていたものの長い間出てこない。

竹を切って見れば、ムカデは既に体の節々がただれてやけどの様になっている。これはクモが腹を動かすときに、小便をそそいでこれを殺すことが出来るのでしょう。物のその天をおそれるという事はこのようなことです。今鼠が猫を恐れるのもまた同じことです。どうして長くその妖怪の良いままになりましょうか。」


それから主人に加えて教えて、その鼠の穴を探して狩るように話した。屋敷から1町ほど東のほうに、石が多く重なって小高いところがある。そのなかに年を経た鼠が限りなく群がっている。すべて捕まえて殺した後すぐに埋めた。


そのあとは何も起こる事がなかったと言う。

昔話 きつねのよめいり

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