わかりやすく書かれた毛利元就「三本の矢」の例え話を明治時代の本より


この記事は4分で読めます.

明治時代の本より

  • 有名な毛利元就の三本の矢の話
  • 子供たちへ協力することの大切さをわかりやすく例えた

【出版年】明治19年(1886年)出版
【著者】大槻崇
【書名】名家小体文範
【タイトル】折箭戒諸子

元龜二年六月藝候元就病将死致諸子於前呼取箭数條一如其子之数乃手自糾、、、

元亀二年(1571年)の6月、芸候(毛利)元就は病に倒れて今にも死のうとしていた。


ある日、自身の子供を前にそろえて、矢を何本か持ってこさせ、その一本一本を子供達に見立て、自分の手を使ってひとたばにまとめた。そうして力を込めてこれを折ろうとしたが、割ることは出来ない。

それから、そのうちの一本を引き抜いて試してみると、思うとおりに折れてまた割る事ができた。


そうして元就が戒めて言うには、
兄弟は、まさにこの矢のようである。互いにむつまじく、頼りあえば事を成すことが出来る。
しかし仲が悪ければ、それぞれが、それぞれに敗れる。お前達はこれを心に銘じて、忘れることないように。」と。


次男の隆景は進んで言うには、
「そもそも兄弟が争うのは、おのれの欲によって起こることであり、欲を捨てて義をまっとうすれば、どうして不仲になることがありますか。」と。

元就はこの言葉に喜び、「その通りだ」と。
他の子供達にもむかって、「まさに次男の言葉に従うように。」といった。


かつて寧静子と言う者が言うには、
「詩経の中に、”騒乱が止んで、世が安らかで落ち着いたとき、兄弟がいるというとも、友人には及ばない.”とある.たしかに兄弟の情というものは、互いの危機を救い合うことは難しくないが、平和に世がおさまっているときは、助け合うのが難しい」と。


果たして、よく毛利元就親子の言葉に従えば、どうして仲むつまじく、兄弟の情をまっとうすることができなかろうか。

コメントを残す