アイヌ民族が生け贄のために子熊を育て、祭りで食べる文化の話


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明治時代の本より

  • 明治頃の記録によると、アイヌの人は礼儀正しく安らかで、太古の風俗のように暮らしていた.
  • 生け贄のために子熊を捕まえて我が子のように育て、祭りが終われば熊を殺して食べる文化があった.

【出版年】明治25年[1892年]
【著者】蝦夷誌
【書名】中学読本
【タイトル】蝦夷の風俗

古の蝦夷人を、今はアイヌと云ふ.其の種族、全身毛深きが故に、又毛人とも称ふ.風俗すなほにして、礼儀あつし.男も女も髪を被りて、耳に環を貫けり.男ハ髯美し.木の皮以て、織りたる衣を、左、、、

昔の蝦夷人を、今はアイヌと言う。
その種族は全身毛深いが故に、また毛人とも呼ばれる。素直で礼儀に厚い文化である。

男も女も髪をかぶって、耳にわっかを通している。男はひげが美しい。木の皮を使って織った衣服を左前に合わせて着ている。外に出るときにも靴をはかない。雨の日にも傘を使わない。
常に弓矢を携帯して、手槍を持ち、腰に小さい刀を帯びている。

女は布を使って額の上を包み、胸に「シドキ」という鏡をかけている。人の妻となった者は、口のそばと手の甲に、刺青をする。肌を出すことを恥ずかしく思って、水を渡るときさえも、衣服のすそを持ち上げない。子供に乳を飲ませるときも、布をたらして上よりおおっている。

婦人の仕事は、薪を取り、「アヅシ」を織り、鳥・獣を飼うことを役割にして、夫の漁猟を手伝っている者もいる。


アイヌ民族の性質はおおむねゆったりとしていて、鋭くはないけれども、いつわって飾ることがないのは本当に愛すべきである。

名誉をたっとぶことも、物をたくわえることも知らない。山に入って獣を狩り、水に浮かんで魚をとり、夜が明ければ朝の事を考えて、日が暮れるとバタの儲け(意味不明)をなす。老人も若者も、心安らかに集まって月日を送っている様子は、太古の風俗とでも言うのであろう.


アイヌは10月を祝いの月とし、「オムシャ」と呼ばれる先祖を祭る風習がある。
祭りのいけにえには必ず熊を使うのを慣習にしている。この生贄に使う熊は、それより前に山に分け入って小熊を捕まえて、これを女に飼わせておき、祭りの時まで待っておく。

物を食べることを知らない小熊を手に入れた時は、自分の母乳を飲ませて育てるために、したしみなついて飼い犬と変わらないのだと言う。


さて祭りの時期になると、高い祭壇を造り、「ニホ」という木でこしらえた弊(ぬさ)を植えて、刀や槍を始め、宝器を並べて座を飾ってよそおう。
親族をはじめ、あたりの人々が互いに集まって、酒宴をすることを例とする。

この時、以前より飼っておいた熊の首に大きい綱をかけて、沢山の人が左右に分かれてその綱の端をつかみ、しっかりと引き止めて動かさないようにする。そうして家の主が、弓に矢をつがえて、四方を射る。次に客が弓をとって、熊に向かって放つ。
それから非常に太い一つの丸太を取り出して、熊の首を挟むと、数多くの人たちが上より乗りかかって押し殺すのである。

母乳を飲ませて養い飼っていた女は、この姿を見て悲しみに堪えることができず、声を上げて泣き叫ぶのだという。

こうして人々はそばへ寄って、熊の死体の姿を整えて、酒と食べ物を供え、心を込めて祭りをなす。
祭りの式が終われば、その熊の皮をはいで、その肉を煮て、集まった人々に振舞うのだという。

アイヌ文化が分かる本

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