伊達[ダテ]の意味は、伊達政宗の人目に付く振る舞いが語源


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明治時代の本より

伊達政宗がいくさの際、自分の軍に目立つ格好をさせたことから、伊達様と言われるようになった.

【出版年】明治19年[1886年]
【著者】 千仞
【書名】名家小体文範
【タイトル】伊達様

朝鮮之役小西加藤両先鋒以下謁見儀畢辭聚楽第出大宮道伊達政宗旗幟皆金画家章、、、

豊臣秀吉が執り行った、朝鮮出兵文禄の役(えき)のときのこと。
先鋒である小西行長と加藤清正以下の者達が、おのおの集って顔合わせの儀式が終わり、聚楽第(じゅらくだい)を去って大宮道に出た。

そのときの伊達政宗の旗は、全て金色で家紋を描いている。30人の騎士には黒色の母衣(ほろ、鎧の肩からたれるひらひらした布)をかけさせ、その馬の顔は熊や豹の皮と、孔雀の羽で飾らせている。
弓、槍、銃3つの隊列は、それぞれ100人づつおり、金銀の武具を身にまとう。

遠藤と原田の二人が、馬を先頭にしていたが、彼らの副刀は一丈(3m)あまりもあり、鞘の末には革の紐を流して飾り、これを背中にしょっている。

その艶やかの姿は日に映じて、彩り豊かにきらきらと輝き、数里先までもその光が射るようである。

これを見ていた者たちは驚愕して、このことより俗に普通と異なる格好が人目を驚かす者を、
「伊達様」
という。

伊達政宗の人物伝

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