- 明治元年天皇が東京へ行幸した際、伊勢神宮の鳥居の笠木が落ちた騒ぎ
- ゴロツキの集まりだった日本警察を整備した大木喬任のエピソード
- 樋口一葉の代表作「にごりえ」 全文現代語訳その6(無料)
- 花火、屋形船、かたわの見世物、鯨の絵.江戸時代の文化と娯楽の思い出
- 大町桂月「文章の極意は誠の一言に尽く」明治時代 文豪の名言と思想
- 役人が汚れたふんどしで判事に顔を拭かせた明治時代の面白エピソード
- 西洋菓子を日本へ広めた明治時代の偉人、森永製菓創業者のエピソード
- 大隈重信によると、北海道を開拓したのはロシア侵略への国防が理由だった
- 福沢諭吉の恋愛観.フリーラブを否定し、人外の動物と言った事
- 日本の台湾統治時代の話:台湾受領用紙を忘れ安いシャンパンを出した事
この記事は3分で読めます.
書かれている事のまとめ
曲亭馬琴本より
江戸時代、伊豆大島で使われていた、単純でわかりやすい変わった名前の話.

出典
【出版年】文化8年(1811年)
【著者】曲亭馬琴
【書名】燕石雑志
【タイトル】苗字
原文の雰囲気は?
海嶋なる人の名は今将聞わきがたきもあれど亦おのづからいにしへに称へり伊豆の大嶋の居民に東四郎太郎三郎(これにて一人の名也)或は百太郎二郎など呼なすものありとぞ是は、、、
原文の現代語訳
海の島に住む人の名前は、今すぐに聞き分けづらいものもあるものの、また自然と古くからの姿にかなっている.
伊豆の大島の住人に「東四郎太郎三郎」(これで一人の名前である)、あるいは百太郎二郎などと呼ばれる者がいるという.
これは長男を太郎、次男を二郎とのみ呼んでいるので、そうすると人ごとに紛れてしまうから、住所の地名などに祖父や父の名前をかぶせて、東の四郎の長男を「東四郎太郎」、またそれが三男であれば「東四郎太郎三郎」と呼ぶと思われる.
また佐渡では女の名前に、「にさ」というのが多くあるという.その理由はわからない.またあさという名前も多い.これは朝に生まれたからそう名付けるのだという.昼・夕もこれと同じである.
男子にも朝介、昼介、夕介などと名乗るものが多い.
また、猿松惣郎晩兵衛(さるまつそうろうばんべえ)などという者もいる.さらに伊兵衛の一子に「伊平」、多平の一子に「多兵衛」と名乗るものもいるという.
その土地の風俗や便宜に任せるものであるので、こうしても紛れることが無いのだろう.