東四郎太郎三郎さん.江戸時代に伊豆大島で変わった苗字を付けていた.


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曲亭馬琴本より

江戸時代、伊豆大島で使われていた、単純でわかりやすい変わった名前の話.

【出版年】文化8年(1811年)
【著者】曲亭馬琴
【書名】燕石雑志
【タイトル】苗字

海嶋なる人の名は今将聞わきがたきもあれど亦おのづからいにしへに称へり伊豆の大嶋の居民に東四郎太郎三郎(これにて一人の名也)或は百太郎二郎など呼なすものありとぞ是は、、、

海の島に住む人の名前は、今すぐに聞き分けづらいものもあるものの、また自然と古くからの姿にかなっている.


伊豆の大島の住人に「東四郎太郎三郎」(これで一人の名前である)、あるいは百太郎二郎などと呼ばれる者がいるという

これは長男を太郎、次男を二郎とのみ呼んでいるので、そうすると人ごとに紛れてしまうから、住所の地名などに祖父や父の名前をかぶせて、東の四郎の長男を「東四郎太郎」、またそれが三男であれば「東四郎太郎三郎」と呼ぶと思われる.


また佐渡では女の名前に、「にさ」というのが多くあるという.その理由はわからない.またあさという名前も多い.これは朝に生まれたからそう名付けるのだという.昼・夕もこれと同じである.
男子にも朝介、昼介、夕介などと名乗るものが多い.

また、猿松惣郎晩兵衛(さるまつそうろうばんべえ)などという者もいる.さらに伊兵衛の一子に「伊平」、多平の一子に「多兵衛」と名乗るものもいるという.


その土地の風俗や便宜に任せるものであるので、こうしても紛れることが無いのだろう.

名字の歴史学 (講談社学術文庫 2521) 

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