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書かれている事のまとめ
大町桂月の本より
尾崎紅葉は、明治時代文壇の名物ともいえる面白い人間で、胃がんで死ぬ間際でも冗談を言って、弟子をからかった.

出典
【出版年】大正11年(1922年発行)
【著者】大町桂月
【書名】筆のしづく
【タイトル】尾崎紅葉を弔ふ
原文の雰囲気は?
憶ひ起こす、今より幾んど一年の昔となりぬる明治三十五年の暮、紅葉、竹風、泉花、風葉と共に、酒楼に会飲したることありき.その後、間もなく、紅葉は胃癌にかかりて、十一月に至りて、終に起たず.之を聞く、かの時の会飲は、酒楼にあらはれたる最後の紅葉、、、
原文の現代語訳
思い出すと今からほとんど一年前の昔となった明治35年(1902年)の暮れ、尾崎紅葉・竹風・泉鏡花・小栗風葉と共に、料理屋で酒を飲んだことがあった.
その後まもなくして紅葉は胃がんにかかり、11月に入ってついに起きることは無かった.聞いてみればあのときに酒を飲んだことが、料理屋にあらわれた最後の紅葉であったそうである.
旧友との酒の跡はなお残っていて、その人はすでにこの世にいない.良い酒もゆらめくともしびも、今は人生の恨みとなる.悲しい事だ.
文学上における紅葉の功績はここに説かない.
単に社会から見てみると、紅葉は江戸っ子の粋(すい)でやや洒脱を帯びた者である.一種の凝り性で物好きであるのは、江戸っ子的で文章に巧みである理由である.
外見は引き締まった好男子であり、縦横に走る舌は一番対話にすぐれ、すばやい才知は人を刺し会話すること流れるがごとく、本当に席上の花である.態度や行動は気が利いてあか抜けていたが、作風もまたその人となりを良くあらわし、軽快でしゃれており、一種のみやびな趣がある.
ただ筆の力だけでなく、すぐにその5尺(約150cm)の体でもって、硯友社のもろもろの秀才たちをひきつけ、さらに門下に多くの優れた才能を感化した.換菓篇(紅葉の弟子の作品集)の一部は、腐敗した今の世の中に、あたたかな子弟の情を具体的に表出している.
君、筆を投げ捨てても、なお社交場の一名物であったことを失わない.
聞いた所によると、君がまさに死のうとしたときに、看病する弟子を近くに呼び寄せて、この世の名残だからといちいちその顔を熟視し、見終わってから、
「いずれもみな、まずい顔をしているなあ.」
と言ったとか.
紅葉の面目はこの一言の中に躍動するのを感じる.
弟子の顔を見て、ただ涙をこぼすのみなら平凡なことだけれど、涙を隠してうわべにわざと冷やかす所は、紅葉が対話に優れている理由で、合わせて市中の江戸っ子というのみにとどまらずに、文人として生命があった理由である.