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書かれている事のまとめ
福澤諭吉本より
- 空論である過去の東洋思想を一切排除し、西洋流の実学へ帰着すべきだと説いた.
- 西洋諸国の実学は、数理・統計を用いて、最大多数の最大幸福を求める思想.
- 半信半疑ではなく、信じるものを信じ、信じないものは全くしりぞけるべきである.

出典
【出版年】1897年[明治30年]
【著者】福澤諭吉
【書名】福翁百話
【タイトル】半信半疑は不可なり(三十四)
原文の雰囲気は?
醫と云へば漢醫も洋醫も等しく醫の如くなれども治療の一段に至りては漢醫を目して醫と云ふ可らず學問も亦斯の如し漢學洋學共に學問の名あれども人間の居家處世より文明の立國富強の邊より論ずるときは古來我國に行はれたる漢學は學問として視る可らず我輩の多年唱導する所は文明の實學にして支那の虚文空論に非ず、、、
原文の現代語訳
医学と言えば、漢医(東洋医学)も洋医(西洋医学)も等しく医学のようであるけれども、治療の場面にあたっては、漢医を見なして医学というべきでない.
学問もまたこのようである.
漢学・洋学ともに学問の名前はあるけれども、人の暮らしや世を渡る方法から文明の立国・富強のあたりより論ずるときは、古くより我が国に行われた漢学は学問として見るべきでない.
私の多年主張し導くところは、文明の実学であって、支那(中国)の虚文・空論ではない.
ある点においては、全く古学者流派の正反対であり、これを信じないのみか、その誤りをあばき、そのいつわりを明らかにして、これを排除しようと努める者である.
この事に関しては、日本・中国古今の学者に対してはもちろん、孔子・孟子の言葉というとも通過することを許さない者である.
つまり私は、西洋文明の学問を習得し、これを折衷して漢学の説に付け加えようとする者ではない.
古来の学説を根底より転覆して、さらに文明学の門を開こうとのぞむ者である.
すなわち、学問をもって学問を滅ぼそうとする本願で、生涯の心に掛ける事はただここにあるのみ.
そもそも、宇宙全てを支配するものは自然の真理・原則であって、人事もまた本来この数理の外に逸脱することは出来ない.そうであるのに、今東洋・西洋の学説を比較して、その要点のあるところを見ると、両者おのおのよって来る所の根本を別にする.
あれは陰陽五行の空論を語って万物を網羅し、これは数理の実を数えて大小を解剖する.
あれば古を慕って自ら立つことをせず、これは古人のいつわりを排除して自ら古となる.
あれは現在のままを妄信して改めることをしらず、これは常に疑いを発してその本を極めようとする.
あれは言葉多くして実証に乏しく、これは有形の数を示して空論を言う事が少ない.
根本の互いに異なること、おおよそこのような姿である.
その文明の事実に始まっては、もろもろの事物推究の実学となり、日に新たなる発明・工夫となり、蒸気は百種の機械を動かして船や車を進める力となり、電気はまたともなってこれを凌駕する勢いを現す.医学・衛生法は古人のいわゆる不治の病を治療し、またこれを予防して平均の寿命を長くし、化学は物の性質を分かち、またこれを変化させて人間の生活に利益を与える.動植物学は禽獣・魚介・草木の発育を助けて牧畜・水産・山林・農作の事を容易にするなど、いちいち数える暇もない.
あるいは、有形を離れて無形に入り、政治・法律・経済などの由来を尋ねても、その進歩・発達は数理の賜物で無いものはない.
西洋諸国の人が、早くから統計の法を重んじ、人間全ての運動を観察するのに統計の実数を利用して、最大多数の最大幸福を意図する様な所は、またもってその思想の所在を窺うに足りるだろう.
これをかの支那人などが「古の人、古の人」と称して、古を尊ぶ夢に眠り、その有形の世界に一物の改進ないばかりか、彼らのあえて自ら任務とする仁義の教えさえ、ただ口にべらべらと話すのみで、実際には不仁・不義を行って、人道の教えが多く言われる極楽世界に無情・残忍の地獄を演じる様子に比較すれば、同じ扱いのできるものではない.
そうであれば、私は一切の学説につき、東洋流の古きを捨てて西洋文明の主義に帰着しようとする者であり、それこれを捨てることほとんど惜しむ所ないというとも、ただ世間はあるいはそうではない.
時としては、なお過去の物に未練をもって、儒教の残夢をむさぼる者が無いではない.
世に言う文明開化の人で、よく明暗の利害をわきまえ、身に洋服を着て口に洋食を食べ、西洋の機械を便利であるとしてその利用を拒まず、工事に軍事にこれを採用して、その利益を知るだけでなく、政治・法律・経済の事に至るまでも西洋流を許しながら、その心の底を叩けば自然と一片の儒教の魂を存して、綺麗に抜けることを得ない.
例えば、人々の家庭を窺うに、少年・子弟の読み物にはまず「孝経」(書名)を使用し、女子には「女大学」(書名)こそ適当であるというような、事は小さいように見えるが、またもって思想の所在を知るに足りるだろう.
十数年前、教育社会に一時の波乱を生じて、古学復活の奇妙な姿を現し、いわゆる嘉言・善行・忠勇・武烈などという極端な主義を奨励して、天下の人の心を刺激し、その影響は歳月がたった後に表出して、種々数限りない困難と危険をかもしだした.
今日にいたるまでもなお、いまだぬぐい去る事が出来ないのは、つまるところかの儒教の魂の不滅に由来するものと言わざるを得ない.
これは即ち私が東西学説の折衷を言わずに、儒教の流派の根底より排斥しようと望む理由である.
酒に水を混ぜたものは、なお飲むべきである.魚の油はすなわち不可である.
儒教本来の主義がどうかはしばらくおき、その数千年の間に腐敗したものをとって、今の文明・学理に付け加えようとするのは、酒の内に魚の油を混ぜるに等しい.私の取らないところである.
旧幕府の時代に一人の男がいた.
非常に西洋の新しく珍しいのを喜び、一も二も西洋風という中に、医薬の場面にあたって、「洋医は外科に巧みである.また内科にても熱病のみは任すべきだが、他は全て漢方医の治療に限る.」として、家に病人があれば当時流行の漢医浅田だれだれを呼ぶのがつねであったのは、私が記憶するところである.
今の世の人が、西洋文明の学説に服しながら、なおその胸中の深いところに儒教の魂を残して、時にあるいは躊躇の様子があるのは、かの男が医学を選ぶ心情に異ならない.
文明改進の時節に、私は漢学を学問とせず、漢医を医学とせず、信じるのであれば大いに信じ、信じなければ全くしりぞけ、半信半疑はもって家にいるべきではない.世にあたるべきでない.
またもって国を維持するに足りないことを悟って、一人自ら安心する者である.