大町桂月「文章の極意は誠の一言に尽く」明治時代 文豪の名言と思想

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内容

「文章の極意は、誠の一言に尽きる.」「大きなことに気が付くと共に、小さい事にも気が付いてこそ、始めて真に大きいものである.」明治時代の文豪大町桂月の名言をあつめました.

明治四十四年出版 大町桂月著 「文藻三百題」より抜粋して現代語訳


作文心得百箇條

・文章の極意は、誠の一言に尽きる.心に誠なくて文章の道に達することは、全く不可能である.
例えば、舟とかじを無くして、海を渡ろうとする様である.浅瀬であれば、歩き渡ることも出来よう.深くとも程遠くなければ、泳ぎ渡ることが出来よう.しかしはるかな大海にあっては、泳ぎ渡ることは出来ようはずもない.

・誠とは、真面目であることである.真面目であれば、身を苦しめて励んでいやしいこともせず、熱心がこもり、気力は生じ、観察が徹底し、奇想や妙句は自然と湧く.

・不真面目な考えで、文章を馬鹿にしてかかり、読者を馬鹿にしてかかるのは、つまり深淵を歩き渡ろうとするのである.文才のみをたよって、みだりに筆をもてあそぶのは、つまり大海を泳ぎ渡ろうとするのである.

・流儀に入って、そののち流儀を出たのが、名文の域である.まったく流儀に入らないものは、どれほど筆が熟達したとしても、名文の域に入ることは出来ない.[流儀は原文”格”]

・真面目な心をもって確信し、そののち、恐れず、かえりみず、断乎として文を任せれば、筆の道は自然とのびやかとなり、文に生気があるだろう.

・理性一方の人は、おそらくは文章の深い奥義に達することが出来ないだろう.こうした人は文章だけでなく、何事にも大成しないだろう.

・善を善と感じ、悪を悪と感じ、美を美と感じ、醜を醜と感じ、勇ましいを勇ましいと感じ、物のあわれを物のあわれと感じてこそ、まことの文は成ろう.これは情に発して、理智に照らされて醇化する.誠心あるものが必ず至るべきの領域である.

・竹を見て、文を悟れ.竹の長くまっすぐなように、文もまっすぐにあれ.竹に節があるように、文も節あれ.竹の根のはびこるように、文の根もはびこれ.そして根は人の目に見えないものである.

・苦境にいれば、みだりに悲観ばかりせずに、静かに苦境を観察せよ.楽境に身を置けば、みだりに浮つかずに、静かに楽境を観察せよ.これは文を作る良い工夫で、同じく人格修養の良い工夫である.

・人を泣かそうとするならば、おのれがまず泣け.人を笑わそうとするならば、おのれがまず笑え.英雄を描こうとするならば、おのれがまず英雄となれ.

・大きなことに気が付くとともに、小さい事にも気が付いてこそ、始めて真に大きいものである.


疵なきが疵

偉人というものは、大長所があると共に、また大短所があるものである.何事も一通りそろって、微塵も傷がないのは、実は、大きな傷である.人格の小さい人である.


道義の眼

常に暗い場所に住む動物は、眼を持たない.人も社会の暗黒に馴れれば、道義の眼を失う.


坦々たる大道

道は、坦々たる大道こそ歩き良い.
そうであるのに、見識の浅い学者達は、これでは平凡であると、ことさらに山によって桟道をつくり、人に対して歩行を悩ませて、そして自ら喜ぶ.
愚かではなかろうか.
道は、歩きやすいがために作るのである.
ことさらに、歩きづらくさせて、道の意味は、どこにかあろう.
学問は、人を導く無形の道である.
そうであるのに、わざとこれを険しくして、人を誤り、世を害して、学問の意味、どこにあろう.

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