この記事は21分で読めます.大正時代の本より.森永製菓創業者森永太一郎が、日本へ西洋菓子を広めた第一人者となり、日本菓子の歴史は森永太一郎の履歴とまで言われるようになったエピソード
カテゴリー: 長い長い昔の話
なぜ横浜が栄えたのか?その理由を幕末の役人福地櫻痴の実体験から
この記事は23分で読めます.福地櫻痴の本より.三井を含む商人たちが当初横浜に開店したのは、自ら進んでやったのではなく、幕府の圧力によるものであった.外国政府は、勝手に開港する場所を神奈川から横浜に変えた日本を非難したが、外国商人たちは貿易に便利な横浜に賛成し、結局横浜が栄えていった.
日本の侍が幕末に海外渡航した際、国風の味噌や履物にこだわる笑い話
この記事は17分で読めます.福地櫻癡の本より.幕末、開港の延期を依頼するために、ヨーロッパの帝王に会いに行くことになる.味噌やわらじなどの持ち物も、始終日本的な感覚でこだわって支度したが、結局全部無駄になった.
江戸1661年浅井了意作「牡丹灯篭」原作の簡単なあらすじと全文現代語訳
2分で読めるあらすじ.妻を亡くした荻原という男が、悲しみにくれながら彼女が生きていた日々をただ想って過ごしていた.それから男のもとには毎晩女がやって来るが、朝になれば帰り、自分を万寿寺の近くに住む藤原の子孫と名乗った.心霊を祭る期間が終わった翌日、この世のものとは思えない美しい女と出会い、心がくらんですぐに恋に落ちた.そのころ隣に住む老人が、荻原の様子を不審に思って家をのぞくと、荻原が話していると思っているのは白骨であった.老人に指摘され荻原は事の重大さに気づき、万寿寺へ向かってみると、そこには棺おけと牡丹(ぼたん)をあしらった灯ろうがあった.恐怖した荻原は、卿公という人物より札を貰って家に貼ったところ、この霊は再び現れなかった.しかし荻原は女を忘れられず、再び万寿寺へ足を踏み入れると、女が現れて奥へ引き入れ、荻原は白骨となり死んでしまっていた.
「私は死なぬ人である」吉田松陰の思想と名言を獄中で妹に宛てた手紙から
この記事は19分で読めます.吉田松陰の手紙より.捕らわれてやがて死ぬことを悟りながら、自分は”死なぬ”人であり、自分の災いが家族の幸福を生み出すと記した.神や仏に頼ることではなく、自分の身で行うことの必要を問いた.わざわい転じて福となり、福はわざわいの種となる.



