赤穂浪士大石内蔵助の後を追い、泉岳寺の墓で切腹した村上喜剣の伝説

この記事は9分で読めます.赤穂浪士と直接関係無いものの、熱血漢であった村上喜剣という男が、主君のかたきを取らずに遊びまわる大石内蔵助へ激怒した.しかし大石は、人目をはばかる為にわざと放蕩者の振りをしていたのであった。後に赤穂浪士が主君の仇をとったことで、村上は大石を非難した自分を後悔し、墓の前で切腹した.

江戸時代の短編怪談「人面瘡」顔の形をしたできものが出来る病気の話

江戸時代の短編怪談「人面瘡」顔の形をしたできものが出来る病気の話

この記事は7分で読めます.ある男の足に、人の顔をした”できもの”ができた.”できもの”は鼻と口があり、食べ物を喰らい、酒を飲む.人面瘡の代わりに男はやせ衰え、間もなく死ぬかに見えたが、諸国を旅する僧によってその治療法を教わった.

「私は死なぬ人である」吉田松陰の思想と名言を獄中で妹に宛てた手紙から

「私は死なぬ人である」吉田松陰の思想と名言を獄中で妹に宛てた手紙から

この記事は19分で読めます.吉田松陰の手紙より.捕らわれてやがて死ぬことを悟りながら、自分は”死なぬ”人であり、自分の災いが家族の幸福を生み出すと記した.神や仏に頼ることではなく、自分の身で行うことの必要を問いた.わざわい転じて福となり、福はわざわいの種となる.

明治時代の結婚は男性が年齢30迄にと価値観が現在と同じだった

明治時代の結婚は男性が年齢30迄にと価値観が現在と同じだった

この記事は7分で読めます.大町桂月の本より.大正・明治頃も、30歳までに結婚しないといわくつきのように言われた.桂月の意見では、日本人は早くに子供を持つせいで人間が大きく成長しない.大成する為には早婚を尊重する結婚観を変えて、家庭を築くことを遅くするべきである.